本日、第222回の三方よし研究会が開催されましたので、ここに報告いたします。
◇日時:令和8年4月16日(木) 18:30~20:30
◇会場:近江温泉病院(zoomによるwebで開催)
◇当番:近江温泉病院
~ゴール~
〇「お⾷い締め」について学ぶ
〇⾷⽀援を多職種で⾏う際に必要なことを学ぶ
〇⾷⽀援について、地域の多職種が連携して取り組むべきことを考え、共有する
全体進行 小串 輝男先生
【情報提供】
●「ナーシングホーム ヴォーリズ希望館」開設のお知らせ
当館は2026年4月13日に開設された、癌や末期疾患の方の受け皿となる施設です。自宅のように24時間自由な生活を送りながら、看取りまで対応します。食事や生活援助は施設が行い、看護・介護は個別契約の訪問ステーションが提供する仕組みです。非癌の方でも対応可能な点が通常のホスピスとの違いとなります。どうぞよろしくお願いいたします。
【ご挨拶】
医療法人恒仁会 近江温泉病院 副院長 長谷川 正人先生
私以前は東近江総合医療センターで外科医を務めていました。久しぶりの研究会参加であり非常に喜ばしく、今回は自院が当番病院であり、症例報告があることを楽しみにしております。引き続きの研究会へ期待しております。
進行:瀧沢幸美さん
【30分学習会】
『人生最終段階の食支援~お食い締め~』
発表者:愛知学院大学 健康科学部教授: 牧野日和先生
(博士(歯学)・言語聴覚士・日本心理学会認定心理士)

・講師略歴としては、福井県出身。滋賀県のびわこ学園で初代言語聴覚士として勤務した後、オーストラリア留学等を経て、現在は愛知学院大学歯学部教授。摂食嚥下リハビリテーションや口腔ケアの専門として活動している。
・「お食い締め」は、生後100日目に行う「お食い初め」に対し、人生の最期を締めくくる食事という意味で名付けた。これは商標登録もされており、著書も電子書籍はあったが、2月に単行本も出版されており、自分で言うのもなんだが結構売れているようだ。
・ユングの言葉にもあるが、40歳以降は「死を学ぶ旅」であると言える。肉体の衰えや親の死を経験する中で、自分自身の死とも対話していく時期であると定義している。
・終末期に「食べて良いのか悪いのか」を判断するのは非常に難しく悩ましい。神様ではない私たちがチームで悩み、話し合いながら進めることこそが支援の自然な姿である。
・科学的視点(エビデンス)と物語の視点(ナラティブ)について、急性期病院では医学的根拠(エビデンス)が優先されるが、人生の最終段階では、その人がどう生きてきたかという「物語(ナラティブ)」に寄り添い、どのような「落としどころ」を見出すかが重要になる。また施設の形態(老健、特養など)によって、求められるアプローチの比重は変化する。
・30歳を超えた健康な人の半分以上が、夜間に無意識に誤嚥しているというデータがある。誤嚥したからといって即座に「絶食」とするのは早計な場合があり、リスク管理にこだわりすぎる医療者の姿勢に疑問を呈している。
・自分の場合はともかく、家族のこととなると「死ぬかもしれないが好きなものを食べさせたい」か「リスクを避けて安全な食形態にする」か。自分のことなら選べても、愛する家族のことになると、多くの人が激しく葛藤し、日々意見が変わる。
・ともすると現場では、リスクを懸念する「保守派」と、願いを叶えたい「積極派」で意見が分かれることが多い。私は「意見が分かれるのは正常な施設である証拠」とし、互いがブレーキとアクセルの役割を果たしながら、悩み抜くことが重要であると思っている。
・ムンテラからICへ。そして「アドバンス・ディレクティブ(AD)」へ。日本では長くこのADという考え方が引きずられてきたが、アメリカなどでは「(有効性の)エビデンスがない」として、すでに却下(衰退)されている概念であると指摘されており、元気なうちから死生観を話し合う「アドバンス・ライフ・プラン(ALP)」が提唱され、そうすることで病気になった際の「人生会議(ACP)」がスムーズになる。世界が、そして厚労省がこのように舵を切っている。
・高齢期は誤嚥は避けられない。工夫としては、嚥下の意識化(うるさいと怒られることも)、出汁やあんこ汁で粘性を低下させる、窒息しても比較的喀出出来る量にする(小さ過ぎると叱られることも)、窒息や誤嚥時の動線を描いておく(日頃から救命練習を)、なによりも本人や家族に意を決してもらう(腹をくくってもらう)など。
・2003年、余命1週間とされた元医師の患者に対し、家族の強い希望で焼肉を焼くミッションを遂行した。「もう終わりだから」と正直に伝えた上で食べさせたところ、患者は活力を取り戻し、結果的にその後5年間生存した。この経験から、食べることは単なる栄養摂取ではなく、精神的なエネルギーになることを確信した。
・小学5年生で余命1ヶ月と宣告された難病の少女。周囲が「良くなったらね」と嘘をついて食べさせない中、母親が「今日死んでもいいから夢を叶えてほしい」と私を頼ってきた。呼吸や姿勢を整える「癒しの姿勢」で、本人と母親が望むものを一口ずつ提供。少女は喜び、結果として余命宣告を超えて9ヶ月間、満足して過ごすことができた。
・お食い締めは、亡くなる本人だけでなく、残された家族が「十分なことをしてあげられた」と納得するためのプロセスでもある。家族が満足して「良いお別れ」ができたと思えることは、その後の遺族の人生(グリーフケア)において極めて重要である。
・ハッピーならアクセル、アンハッピーならブレーキ。「食べさせることが正解」というわけではない。本人が苦痛なら中止し、喜びがあるなら進める。
・天命を全うしながら痩せて亡くなっていく自然な経過を認め、多職種で同じ方向を向いて寄り添うことが、最高のお食い締めにつながる。
・ヨーロッパでも終末期の食事のガイドラインを作ろうとしたが、断念された。理由は「一人ひとりのエンディングは異なり、一律には決められないから」である。最後は本人、家族と対話して物語を紡ぐしかない。
【症例報告】
『90代パーキンソン病女性 在宅から入院・看取りの5年間の経過~本人・家族の想いに沿った食支援~ 』
発表者:医療法人恒仁会 近江温泉病院
[訪問担当]言語聴覚士:上田麻美さん
[入院担当]理学療法士:中川めぐみさん、作業療法士:久田梓さん、言語聴覚士:久貝千里さん
⚫️発症から在宅療養期
・X年にパーキンソン病と診断され、徐々に転倒が増加したため病院の訪問リハビリを開始した。
・その後、さらに転倒しやすくなり、経口摂取量の低下や排泄・服薬管理が困難になったため、安全な療養生活の維持を目的に医療療養病棟へ入院した。
⚫️入院初期から3年間(栄養摂取としての食事期)
・入院当初はADLも見守りレベルであり、食事はソフト食などの自己摂取が可能で、服薬コントロールも安定していた。
・入院後の3年間は、徐々に転倒リスクが増大し介助の頻度も増えたが、本人の希望や症状に合わせて食事形態を細かく調整し、経口による栄養摂取を維持した。
・この時期は、売店へ買い物に行くことを楽しみの一つとして過ごしていた。
⚫️入院5年後:発症8年目(楽しみとしての食事期)
・転倒による外傷とごえん性肺炎を発症し一時絶食となったが、回復後にリクライニング車椅子での離床を再開した。
・嚥下評価の結果、誤嚥のリスクから十分な栄養確保が困難となり、胃瘻も提案されたが、本人・家族の希望により鼻腔経管栄養を選択した。
・経管栄養と並行して、看護・リハビリスタッフ間で介助方法を統一し、ヨーグルトやとろみジュースなど「楽しみレベル」での経口摂取を継続した。
・リハビリ行事の「ビアガーデン」への参加や自宅への一時外出を通じ、家族や知人との交流を深めた。
⚫️終末期(口にしたい思いへの寄り添い期)
・熱発や転落により離床が困難となり、方針を「本人の好きなものを味わう」緩和的な関わりへ移行した。
・コーヒー牛乳や息子が作った出汁などを少量ずつ味わう時間を大切にし、誕生日はスタッフとケーキでお祝いした。
・本人が希望した「コーヒー牛乳に浸したパン」を大きな口を開けて食べるなど、最期まで食べる意欲を尊重した。
・意思表示や嚥下が困難となってからは、口腔内の保湿や衛生保持を中心としたケアへ移行した。
・最後にとろみを口にしてから4日後、家族に見守られながら永眠した。
⚫️まとめ
病状が進行する中で、多職種チームが本人・家族と同じ方向を向いて意見を言い合い、1つ1つの関わりを積み重ねたことが、最終的にお食い締めにつながった。
【グループワーク】
テーマ『食支援を地域の多職種連携で実現するには?』
~視点~
〇所属が異なる多職種が同症例を担当したら、どうすれば、本人・家族を安心させられる連携ができるか?
〇役に立つ共有事項はあるか?(本人の性格、家族のキーパーソン、これまでの本人の文脈など)
〇看取りまで情報を分かちあうために、日頃からどんなコミニュケーションが必要か?
【発表】
(1グループ)
- 患者や家族が安心できる連携のためには、まず「本人の望み」がどこにあるのかを汲み取ることが重要。
- 単なる栄養摂取(エビデンス)としてだけでなく、それ以外の「食べる目的や意義」をチームで話し合い、希望を丁寧に聞き取ることが不可欠。
- 看取りまで情報を共有するために、その人の「食べ物の歴史」や現在の希望をネットワークを通じて共有し、チーム全体で「送り締め」のタイミングや方法を模索していくことが大切。
(2グループ)
- 医師が「(食べて)大丈夫だよ、やっていいよ」と後押ししてくれる言葉は、ケアスタッフにとって大きな勇気になり、家族には安心感を与える。
- メンバーの中から、身内の最期に「食べさせなかったこと」を今でも悔やんでいるという実体験が語られた。家族が後悔しないよう、親族間でしっかり相談できる場が必要。
- 当事者のために、多職種が柔軟かつ気軽に情報を共有し、話し合える環境が求められている。
(3グループ)
- 「食べるのも、食べさせないのも食支援である」という牧野先生の言葉に、これまでの経験から救われたという意見が多く出た。
- 闇雲に連絡を取り合うのではなく、コンダクト(舵取り)役がいることで、各職種が専門性を活かしたスムーズな支援が可能になる。
- 自分の好きな食べ物を言語化できないのに、他者の大切なものを汲み取ることはできない。まずは自分自身のACP(人生会議)を考えることから始めるべきだという意見にまとまった。
(4グループ)
- 病院では治療目的の食事指導が行われるが、在宅に戻る際の「食に関する情報提供」がほとんどない現状が課題として挙げられた。
- 病院には多職種チームが揃っているが、在宅では誰が食支援の舵取りをするのかが不明確となりやすい課題がある。
- ケアマネジャーが家族から聞き取った情報を、より広範囲のチーム(病院スタッフ等)と共有していく仕組みが必要。
(会場グループ)
- 本人と家族の意思を軸に、各専門職がどこまで安全性を確保して進められるかを検討した。
- 職種別の視点として、PTは食べるための「姿勢」の安全性に責任を持つ、OTは意思を引き出すための「コミュニケーション方法」を模索する、STは食形態の調整に加え、本人が「食べたい」と思える「認知段階」への働きかけを重視する、MSWは入院前の生活歴や詳細なエピソードを丁寧に聞き取るという違いがあり、それらを上手に活かしながら支援していくことが重要。
【指定発言】
●湖東歯科医師会 口腔機能管理支援センター 歯科衛生士:溝井敬子さん
牧野先生のお食い締めや、食べられなくなった時の選択、その落としどころについて深く考えさせられました。グループワークで出た「死に時が来たから食べられなくなったのだ」という言葉や、家族が「死刑執行人」のような役割を担わされてしまわないよう、本人が元気なうちから意見を汲み取っておく必要性を痛感しました。
前日に依頼を受けたばかりの余命2ヶ月の患者の事例があります。その患者は元々飲食業を営んでおり、食べることが非常に好きな方でした。私は歯科専門職として「歯の痛みを取り除き、美味しく食べられる時間を守りたい」「最期の日まで食べることを諦めない支援をしたい」とあらためて決意した次第です。そのためには、専門職同士がチームで相談・連携し、この研究会のネットワークも助けにしながら、患者の「食べたい」という思いを豊かな時間の中で支えていきたいと思います。ありがとうございました。
●愛知学院大学 健康科学部教授:牧野日和先生
まず対象者が重度になり看取りに向かうほど、もはや多職種チームでやるしかないと思います。多職種が頭を突き合わせても何もできなくなる瞬間が来るかもしれないが、患者や家族がチームに「何をすべきか」を、本人を通して教えてくれます。 また、今後の支援のあり方として、一つはナラティブ(物語)の蓄積が将来のエビデンスになる、ナラティブだけに走ると「宗教チック」になるため、両方を磨くべきですね。具体的には、肺炎リスクや、嚥下と一部を共有する「呼吸」の安定性など、医学的な視点も依然として重要であります。
また亡くなっていく人は死を悟っており、家族に感謝を表そうとするものです。「患者として死んでいくのではなく、その人として死んでいく」ことを応援し、死後に家族に何かを残してあげる支援は、食事支援以上に大事なことだと思います。
さらに医師の存在もやはり大事ですね。医師を内側から変えていく動きが全国で始まっており、それが大きなポイントになると思っています。
最後に、自身が初めて滋賀県に来た平成元年の頃と比べ、現在はこれほど多くの人が食支援を真剣に考えていることに驚きと喜びを感じています。お呼びいただきありがとうございました。
【連絡事項】
第223回 三方よし研究会
〇日時:令和8年5月21日(木)18:30~20:30
〇当番:医療法人昴会
湖東記念病院
〇会場:能登川病院
今日もとても考えさせられる深い学びの会となりました。牧野先生の症例は涙なしには聞けないお話、心が震えたと仰る先生の語りが印象的でした。ありがとうございました。
また次回もご参加お待ちしております。
ここまで読んでいただきありがとうございました。
0 件のコメント:
コメントを投稿