この度、第192回の三方よし研究会が開催されましたので、ここにご報告いたします。
◆日時:12月16日(土) 16:00〜18:00
◆会場:近江八幡市立総合医療センター よしぶえホール 及びZOOMによるWEB開催
◆当番:東近江医師会・近江八幡蒲生群医師会
本日は「地域を一つの大きな家族に」と題して、株式会社ぐるんとびー代表の菅原健介氏、及びスタッフの皆さま方をお招きし、講演としてその活動をご紹介していただき、その後は有志によるパネルディスカッションを行いました。
・私たちの街は40年前に町ができて、その後一気に建物ができて、3万2000人が移住したんですけど、40年経って、建物がだいぶ古くなっていて、そこの5階建ての建物とかマンションの値段がだんだん安くなってきて、5階には上がれない高齢者の方がそこから出ていって、 そこに若くてちょっとお金がない人たちが移住してきたりしてる地域でもあるので、生活支援率などもすごく高いエリアなんですね。なのでちょっと日本の縮図だなと思っていますが、そういうところでやっています。
・なのでうまくいってるところと、すごく怒られまくっているところがありますので、良くも悪くも参考になればというところで、今日はお話しさせていただきます。よろしくお願いします。
・最初にぐるんとびーの概要をお伝えさせていただきながら、 僕らのケアの原点みたいなところは、また別のスライドでお話しさせていただきます。
・僕自身の原点の一つは東日本大震災なんです。
・ボランティア内では仕組みというか、ルールをしっかりして、ちゃんとやりましょうっていうところと、お節介に勝手に動くおばちゃんたちがぶつかるという構図がありました。例えば日本赤十字とキャンナスがぶつかるみたいなことです。ちゃんとルールを守って、安全、安心にしっかり支援活動を行っていこう、支援しに行って怪我したらどうするのという話と、いやいや、そんなこと言ってられなくて、今目の前で困ってるんだからお節介に動かなきゃみたいなところがやっぱりどうしても対立していたんですけども、どちらも必要なんじゃないかってのはすごく感じています。
・24時間の安心と、ルール化していく部分と、お節介に動く部分というのが地域に必要だというところで、僕らは始めました。
・本当にこれからの日本の地域社会に必要なのは、困った時に助け合う文化だなと。それをすごく震災支援で痛感して、それを作らないといけないとの思いから活動をスタートしました。
・僕らがやっているのは、湘南大庭地区という3万2000人の町で、高齢化率が今後35パーセントくらいになっていくんですかね、確か。
・この湘南大庭地区の中に、小学校が4つ、中学校が2つ、高校が1つ、自治会が49 あります。その中で、僕らがこの団地を使って、小規模多機能居宅介護をやっていたり、看護小規模多機能をやっていたり、訪問看護ステーションがあったり、居宅介護支援事業所があったりします。
・今度この近くに本社が全部移転するんですけど、目の前に市民センターがあったり、図書館がここにあります。で、その図書館員さんたちとか、皆で連携しながら、この地域で共に生きていくという活動をやってます。
・ここには49自治会があるんですけど、ここもなかなか高齢化が激しくて、僕は自治会連合会の役員なんですが、役員に最初になった時は、 平均年齢が80ぐらいですね。すごかったですね。今うちの団地が1番若くなって、平均年齢が40ぐらいになった。この49の自治会内で、僕らが今住んでる団地の自治会役員の年齢が若くはなっているんですが、その中でも常に、先輩方と若手がぶつかってというのが日常的に起こっております。そんなところでやっています。
・2011年の震災支援から、キャンナスで仕事をして、その後自分で起業して、小規模多機能から始めて、訪問看護、ケアプランセンター、看護小規模多機能などをやっているのと、同時並行でNPOを作り、お祭りとか、八百屋さんとか、防災の活動とか、ままトレ・スポトレっていう、子供たちと遊びながら仲良くなっていくみたいなやつは、もう6年間無料でやっていまして、今全国展開して、全国50か所の団地で広がっていたりしてます。
・団地の中でいろんな活動をして、その地域にお節介に動いていたら、なにか新興宗教じゃないかって結構言われまして、公的なアワードをしっかり取ろうっていうので、神奈川福祉サービス大賞とか、アジア健康長寿イノベーション賞とか、他色々賞をとりあえずもらってきたっていうところですね。
・原点は、困ってもなんとかなるっていう、 やっぱり仕組みではどうしても、どうにもならない部分があると思っているので、そんな人がいる町をみんなで作りたいっていうので活動をしています。
・小規模多機能の何がいいかっていうと、介護で困ったら頼ってきたり、ここから人の家に訪問したり、場合によってはここに宿泊できるっていう、それを包括報酬でできるってところがすごくいいなと思って始めました。
・団地の6階に小規模多機能が入り、5階に僕が住み、3階、4階、5階、8階などに、いろんなスタッフが住んでいます。その中には、要介護のおじいちゃんと、若手のスタッフがルームシェアをして、その方を看取ったりっていうのを何度かやってたりしています。
・この団地の中の利用者さんって、実は多くなくて、29人中、状況によって変わるんですけど、大体9名とか10名ぐらいですね。あとは、この町内、大庭地区というエリアの方であったり、その隣接するぐらいまでの距離の方が多いです。団地の方を全部看ていると勘違いされるんですけど。団地の方も使えるんですけど、全ての団地の人が、ぐるんとびーがいいって言い出すと気持ち悪いなと思っているので、適度に怒られております。この団地の中で、認知症があっても、障害があっても、みんなで一緒に暮らしていくみたいなことをやっています。
・写っている高齢者の方、認知症だったり、癌だったりです。精神疾患の重度の方もいまして、この方はもうお父さんをボコボコにして、血だらけにしちゃって、お父さんがやり返すと、暴力を振るわれたって警察に電話して、警察が行くとお父さんが血だらけになってるっていう、そういうことをずっと繰り返されてきた方で、 若いうちからそういう感じだったらしいんです。もう本当に刃物でお父さん刺そうとしちゃうので、危ないなっていうことで、精神病院にずっと入院していたんですけど、娘さんが、母の願いを叶えたいっていうので、団地に引っ越してきまして、6年ぐらい経ちまして、この間、お看取りをしたところですね。
・だから一緒に過ごしてると、認知症だったり、精神疾患があろうが、お互い様で、共有できるんだなっていうのは、すごく感じながらやっています。
・小規模多機能とか、看護小規模多機能は、自由度がすごく高いので、外に出ていったりします。アクティビティというよりも、本人が元々畑仕事好きだった方は畑やればいいですし、裁縫を好きだった方は裁縫をやったりとか、好きなことをしにまた戻っていくというか。あとは海に行って、夏はサーフィンじゃないないですけど、ボディボードやったりとかです。海が近いので。プールも結構やられてる方がいて、プールはもうぐるんとびー始まってから9年間、毎週行っています。 あと江ノ島に行ったり。これはビール飲みに行っているところです。
・そういう当たり前の生活を介護保険を使いながら継続して、本人が楽しく生きるってことが、本人自身の強みも生かしますし、周りを支える力にもなると思うので、そういうことをやっています。
・この写真は、団地でルームシェアしているところです。うちの24歳のスタッフと、80歳ぐらいの方とで。この方アルツハイマー型認知症になり、すごく怒りやすくなってしまって、病院入院したら、5日間で退院させられるっていう。で、急遽ルームシェアが始まりました。行き先がなかったんですね。施設に入るのも嫌だし、家に帰ると奥さん震えちゃってるし。でスタッフが、一緒に住んじゃって、ルームシェアが始まりました。彼の彼女が部屋に行くと、なぜだか知らないおじいちゃんがいる。で、実のおじいちゃんかと思うと、全然血の繋がってないおじいちゃんって言われて、彼女はびっくりする。血の繋がってないおじいちゃんとなんで同居してるの?みたいなですね。
・なんかもう、日常、どこに行ってもいいと思うので、 当たり前の生活を継続していっています。小規模多機能は本当に柔軟性がすごくあるので、訪問時間も、訪問介護みたいに1時間とか30分とか決まっていないので、 その時その都度、臨機応変に動いていきながら対応しています。
・僕自身が介護事業所にずっと1日いるってできないので、今日はファーストフードに行きたい、今日はあっちの唐揚げ屋さんに行きたいとかですね。うちは毎日外食なんですけど、毎日外に行ったり、たまに中で作りたいっていう時もあるので、中でご飯作ったりしながら生活して、仕事を越えた、ご近所付き合いみたいになっているので、亡くなった時とか、深夜にメールが鳴って、今亡くなりましたって連絡が入った時に、みんなが勝手に集まってきます。これも仕事の時間外なので、義務には全くしてないんですけど、ずっと一緒にご近所さんとしてきた人なんで、みんな、スタッフが集まってきてお見送りしました。
・一般的な在宅での看取り率って今、20パーセントって言われてるんですけど、僕らは今97パーセントですね。本当はコロナがなければ100パーセントでした、利用してる方の9年間 で。
・全部が暮らしなので、どんどんやっていることが拡張していくというか、介護保険からやっていて、困っていることがあったら相談乗りますよって言ったら、無料相談になったり、さっきみたいに、廊下で倒れてることがあるからっていうので、防災訓練をやっていったりとか、地域の元々あるゴミ拾いに参加したりとか、あとは、オレオレ詐欺みたいのが来ちゃうので、それに対して対応してたりとか。
・あとは、新興住宅街なので、お祭りが少ないんですよ。こちらの方だと当たり前にあったり、僕、地元の鎌倉だと常にお祭りはあったんですけど、お祭りが全然ないので、人が繋がったり、盆踊りじゃないですけど、1年に1回みんなが顔を合わせて繋がっていくとか、そんな活動をと思いキャンドルナイトっていうイベントを、スタッフが始めています。これは僕が(外から人をどんどん呼んじゃうので)一切参加してはいけないイベントになっているんですがね。
・地元の人たちが、小さく小さくネットワークしていくことで、何かあっても、なんとかなるっていう、町に根ざしている活動の1つですね。今年も3年目になるんですけど、もうすでに、今から準備が始まっています。地域でのその信頼関係っていうのをちょっとずつ積み上げていくような活動で、図書館の方たちもブースを出してくださっていました。
・この写真は主催者の1人の子供たちがみんな、コロナの時期、3年前から始まったので、子供たちが集まっている場所とか、高齢者と子供が一緒になっている場所って、ほとんど見られなくなってしまったので、その時にみんなが楽しそうにしてるところを見て、涙を流しているところなんですけど、 そういう気にかけたり思いやるっていう活動をどうやったら最大化させていけるのかみたいなのが、ぐるんとびーの取り組みの実は本質といえるのではないかと思います。介護保険制度をやって介護事業所やりたいわけではなくて、こういう人たちを増やしていったり、こういう人を支えられるような仕組みを作っていくっていうのが僕らがやっている活動です。
・関係性、デンマークのお医者さんが書いて僕らに説明したんですけど、この人の幸せを目指していくときに、この人と自分たちが関係性を持って、自分とは違う価値観を持っていても、それをリスペクトしながらコミュニケーションを取っていく。そこで初めて信頼関係ができるので、それがない、専門性だけあっても何の役にも立たないっていうのを、お医者さんが言っていて、それは全体的にデンマークではみんなが共有していることで、僕らも、ここの土台っていうのをすごく大事にしています。
(下図中、信頼と関係性の言葉が逆になっています)
・もう一つ、ケアのハイパーレスキューっていう、僕らがやっている活動があります。結構こういうケース、生活困窮してる人たちが増えてきていてですね、こういうことが、むちゃくちゃこれから日本で増えていくことがわかっていたことも、ぐるんとびーの活動を始めた理由でもあるんです。
・これ、包丁で玄関がメタメタになっている家です。年間200回、警察に保護されていて、息子さんと2人暮らしで、 息子さんが見れなくなると外に出す。でも、介護事業所どこも受けてくれないっていう状況の中で、3年間ずっと2人で生活をしていて、その状況の中で、お母さんも自分の身を守りたいし、外に出たいしっていうので、こう、ドアを叩き続けてると、ドアが壊れていってこうなっています。
・さっきの信頼関係の話になりますが、普通の介護事業所としては受けられないっていうのは、確かに介護事業としては正しいんですけど、僕らは 一緒に住むところから始める。それは介護保険事業としてはやらないで、地域活動としてみますよと、そこから始めるんです。
・本当にこんなことやりたいんでしょうか?って話をしていくと、いや、そんなことやりたいわけではない。ただ、でも、どうしようもないだろって話になっていくの。で、じゃあ、そのどうしようもないところってどうしたら解けるのかっていうところから入っていきます。
・僕らだけでは解決できないこともたくさんあるので、周りの力も借りながら、一緒に、本人がなんでそう思ってんのかとか、息子さんがなんで追い詰められてんのかっていうのを考えてやっています。
・こういうケースを受ける時は、3か月間、絶対にコールが鳴った瞬間に出る、何時だろうとっていうのをやっていまして、これ受けられるのも数人しかいないんですが、受けています。
・息子さん、介護事業所、今までずっと断られてたんで、介護事業所なんて受けられないだろうっていうのが前提としてあり、 また今までみたいにお願いして裏切られたら自分がショックなので、僕らのこと試すんですよ。夜の23時に電話かかってきて、今からデイサービス行けますかって。23時ですよ。でも「あ、全然大丈夫ですよ」ってお受けしてっていうのを全て断らずにやっていくと、ちょっとずつ信頼関係ができていって任せてくださるようになったりするわけですね。
・玄関の隙間から、ここから20匹ぐらいゴキブリが夜出てくるから寝られないってことだったので、じゃあ床を持ち上げましょうって言って、これも介護ですって言いながら。こういう活動を一緒にやっていくことで、共感していくと、 そういう時間が結構必要だなって。そういう違う価値観とか暮らしっていうのを否定せずに、こう、一緒に伴走していくみたいなことをやりながらきています。で行政の人とか社協の人もこれで手伝ってくれたりして。
・ただ息子さんのケアの報酬は一切どこからも出てないです。だから、僕らに社協をやらせてほしいって本当に心から思うんですけど。ケアラー支援とか言いながら、こういうところにはやっぱり入ってきてくれないですし、行政も僕らも、そこをどうしたらいいのかっていうのが今の課題でもある。やればやるほどスタッフも疲弊していきますし。
・で、大体こういうケースを受けるとスタッフが何人か辞めます。この方受けても2、3人やめて、そうすると僕らが掲げている「困ったらなんとかするまちづくり」って言いながら、スタッフが困ったのを放置するのか?って話が社内でずっと議論されています。でも僕がその時に伝えてるのは、やめたいと思ってるスタッフは、困っても辞める選択肢があるわけで、この人たちは選択肢がないんです。で、どちらを僕が選ぶかというと、スタッフが辞めることを選ぶって話をして…そうすると、すごく怒って辞めていってしまうという。それが、僕もいいとも思っていないんですけど。
・困っていたら助け合うっていう、価値観、人の思いやりみたいな可能性、既存システムを超えた新しい家族性、家族を超えた家族の繋がりっていうのを僕らは作っていきたいなと思って、地域を1つの大きな家族にっていうのを掲げて活動をしています。
・この会社、今70人いるんですけど、70人だけじゃなくて、こういう飲み会をみんなで開催していたり、いろんな地域の他職種とか、みんなで繋がっていたりで、70人のスタッフのうち、20人が地域の役員をそもそもやっていたりする。僕らは、住民でもあり、地域の役員であり、介護時に介護事業所のスタッフであり、訪問看護のスタッフでもある、そういう形で活動をしています。
・でもどうしても、自分たちのボトムからの仕事だけではなかなか難しいので、やはりトップが掲げてくれないと厳しいっていう思いもあります。その中で隣の鎌倉市のマニフェスト作りにも関わらせていただいています。
・あるケース、介護保険の制度で行うことを認めてもらうまで、市とも相当話して、4〜5か月ぐらい。その間僕らが自腹で、朝8時ぐらいから夜10時ぐらいまで入っていた、そうしないと支えられないケースも中にはあるという話です。もう先生たちもどんどん離れちゃってて、僕らがやりたいわけでもないじゃないですか。ああいうケースでもどんどんいっぱいあるわけです。
・ここで僕のケアの原点として、すごくしびれた人生の大先輩がいましたのでご紹介させてください。ある企業の社長やられていて、病院に入院しました。この方ずっと40年間プールに行かれていて、40年プール行っていた人が、できなくなっちゃったんですよね、ガンの末期で。この時におっしゃっていたのが「人が死んでもいいからプールに行きたいって言ってるのを止めるのが医療や介護か!そんな医療や介護ならお前ら全員辞めちまえ」って叫んでいたんです、病院で。で、人が死んでもいいからやりたいって思ってるのを止めるのが医療や介護かって、僕はすごく刺さりました。それを聞いている家族は、今まで散々わがままやってきたじゃない。もう最後ぐらいちゃんと先生の言うこと聞いてよみたいな話をされてたんですけど。えーどうしようっていう時に、 じゃあ本人がやっぱやりたいことをやって死ねるのがいいのかもなと思って、病院に、プールに一緒に行ってた時の写真をどんどん持っていくと。で、そうすると、プールの時の写真が、すごくいい笑顔。病院の人とか先生たちもこんないい笑顔するのかみたいな、病院とは別人じゃないかみたいなところで、少しずつ退院の方に向かっていき、じゃあ退院してプールに行こうっていうので、プールに行きました。
・プールの係の人たちにも、今日死ぬかもしれませんと言ってプールに連れて行き、今日死ぬんですか、と。いや、死ぬかわからないですけど、感染症はないので、万が一吐血した時は、皆さん上がって、体を流していただければ大丈夫ですっていう話をして、入りました。で、入ると、友達たちが集まってきて、「じじい、死んでなかったか」とか言って、 もう死にそうだよって、飲み行くぞって、もう飲めねえんだよとか言って、じゃあ奢れよみたいな、私たちが病気が発症してからの関係性だと言えないようなことをやっぱり周りの方たちは言ってくれるなっていう。で、あのじじいぐらいは俺が支えるからと言って、僕はどかされて、最後は友達さんと2人で歩いていたんですけど、1時間ずっと歩かれていて。で、上がった後に、もういつ死んでもいいよって言って。この1か月後に亡くなられたんですけど、いや、死ぬまでにあと5回ぐらい来れるかも、3回は多分行けると思います、10回は多分死んでると思います、みたいな話をしていました。
・本人の中ではやっぱり満足されて、やりたいことをやりきったって。自分の人生の最後のプールを楽しむ、 あの1時間の時間って、すごいなと僕も後ろで覗かせてもらって、なんかすごくかっこいいなと思いました。そういう先輩たちから学ぶというか、楽しく生きるってところが、なんか街づくりとか色々言いますけど、結局は楽しく生きている姿が人に影響を与えていくんだなっていうのはすごく感じました。本当、僕らにとっての原点のところですね。
・で、楽しく生きるってところに向かって、みんながやっているんですけど、気がつくと、専門職が心配から、危ないからやめましょうとか、やめてくださいになっちゃってるんじゃないかなって。時には必要ですけど、なんかしたいっていうのを手伝うとか、リスクをなるべく下げたり、周りとの関係性を作って、そこを可能にしていくっていうのが、僕らがやることかなっていうのを、学ばせてもらった人です。
・その生きるってことに正解ってあるのかって話で、デンマークで言われているのは、人には失敗する権利があるっていうことです。転倒する権利も本人にはあるっていう。
・この方、twitterとかいろんなsnsで1000万回再生された人なんですけど、大変だったんですよ。退院する時は、ソース上のものしか食べられなくて、1年半、結核で入院していて、ようやく退院されてきましたが癌の末期、にもかかわらずシュウマイ弁当食べたいって言っていたんですよね。で、ソース状なんで、食べれなかったと思ったら、食形態を上げたら食べられて、このあとラーメンとカツ丼を夜中に食べている動画をあげたら、こんな夜中にラーメン食べさせて危ないっていうのでバズりました。ラーメンは10センチに切った方がいいとか。10センチに切ったラーメンなんて食べられるかと思いながら、本人がそれを望んだら僕らもやりますけど、本人がどう生きたいか、変な話、詰まらせて死ぬのも本人の権利だと思ってるので。
・で、2週間半後にラーメンを外に食べに行って、4週間後に、とろみつけなきゃいけないのに、隣に置いてあった人の飲んだ飲み残しのコーラを盗んで飲んで、ゲップをしたところを動画にあげて、またこれが、食品衛生法違反だろうと。隣の飲んでた人のコーラを飲んでいたっていうのは食品衛生法違反で、ぐるんとびーは、そういう違法な事業所であるっていうので、通報が県にも市にも入りまして。結局保健所が来た時に、隣の人が口じゃなくてコップに入れていたコーラを口で飲んだことが分かり、それは違反ではありませんって。本当、コントみたいなんですけど。
・本当にルールにがんじがらめで、この人、あのフィリピンの戦争の生き残りで、96歳で、死んでもいいからコーラ飲みたいっていうのを誰が止める権利があるんだろうと思いながらですね。
・最後、ここでお通夜やお葬式をとり行ったら、マンション内でお葬式をやるのは違法だというので、今度は自治会の総会にかかりまして、これも2年半かかって、ようやく認めるっていう風になったんですけど。認めてもらう前に、一部の人しか反対してないんですけど、その人たちの声がすごく引っ張られちゃうんですね。
・なんか生活が楽しいから、こうやって目が輝いて元気になっていくっていうのを、当たり前のことですし、この中で体力が落ちてなくなっていくっていう、当たり前のことを、みんなでこう伝えられたらなと。まあ、支えられてるのかも若干分からなくなってきていて、僕らが介護保険報酬でご飯を食べさせてもらってるので、そういう意味ではもう支えてもらってますし、なにかお互い様で、みんなで生きていけたらいいなということをやっております。
(ここでスタッフメンバーである中野さんがご登壇です)
・ブル中野です。僕と菅原は専門学校時代の同級生なんです。東日本大震災の時、たまたま菅原健介とは繋がっていて、最初の時は被災地の状況もわからなかったので、興味本位で行きますって言って、2年ほど活動をしていました。
・キャンナスで活動をしていたんですけども、なぜキャンナスという団体が被災地支援に入ったかというと、最初に入ったドクターから「看護師がいるけど、看護師がいない」という電話があったんです。電話の意図としては、大きな避難所、1000人規模の避難所に、朝9時から5時にある1部屋に看護師さんは常駐でいてくれるんです。ただ、なにか困ったら来てくださいねのスタンスなんです。東北の方々は結構我慢強いので、 なにかあった時に看護師さんに来てもらった時にはもう大変なんです。
・そういうとこから、キャンナスの看護師さん、全国、全世界から募集をかけました。健康相談という形で、訪問型の健康相談を4万回以上、そして私がメインでやっていたのが、物資支援という形で、藤沢が拠点だったので、往復で80回、100回ぐらい行きました。多分、トータルで、2000トン以上の物資を東北に持っていった形です。
・ここで皆さんにちょっと考えていただきたいのが、「皆さんがある避難所の運営委員長です。そして、その避難所には1000人の方が避難しに来ています。年齢層や性別、国籍、いろんな方がいらっしゃいます。その中で、物資支援としておにぎりが届きました。しかしそのおにぎりは 700個しかありませんでした。コントロールする運営委員長として、そのもらった700個のおにぎりをどのように扱いますか」という質問をしてみたいと思います。自分だったらこうするって頭の中で思い描いてください。
・実際にですね、2つ、真反対の事例がありました。1つは1000人規模の避難所に700個なので、300個足りない。そのおにぎりを 保管場所に保管して、賞味期限が切れたので捨てた避難所。もう1つの避難所は1000人規模で700個だったので、1個ずつちょっと分けていって、1000人に配れるように調整をされました。
・その違いというのは、前者の捨てた避難所で多かったのは、運営委員長が公的な人が多かった印象です。子供用のおむつも、1000人規模だったら1000枚ないと配れませんと言われたお母さんもいらっしゃいました。クレームが怖かったのかわかりませんが、平等という名のもとに、1000人規模の避難所だったら、1000個のおにぎりがないと配れずに廃棄しますという避難所が実際にあったんです。逆に700個のおにぎりを1000人分に分けて柔軟に対応していた避難所というのは、 行政、公的の方がトップではなく、一住民の方がトップで運営をしていた印象です。
・そもそも、災害時には、公助はほとんど壊滅すると僕は思っています。市役所だったり、警察署だったりっていうのは、ほぼ動けない。じゃあ自分の力でなんとかしましょうの自助もあるけど、限界がある。となると、共助の力をなるべく高める必要があるのかなと思っています。
・これは石巻の写真なのですが、市街地はもうなんでも物資くださいだったのに対して、そこから1時間離れた半島のー田舎というか、交通の便も悪いところは、それぞれが協力して避難生活を送っていたので、「支援物資何か要りますか」と聞いた時に、「塩でいい」「調味料だけでいい」って言われました。野菜とかパンとかご飯とか大丈夫ですか?って言ったら、裏のあのおばあちゃんの畑から引っこ抜いて食べるから平気よとか。
・それって何が違うのかなというと、平時からそもそも地域力が高いイコール防災力が高いんじゃないかと考えました。その地域力って何かな?と僕の中で解釈したところ、顔の見えている関係が作れていることが地域力、防災、共助が高いのではないかと思っています。
・そして僕自身、ぐるんとびーにいる最大の理由として、ここにいることが最大の防災だと思っています。なぜかというと、この団地、地盤がとても硬いんです。そして人材が豊富です。僕と菅原は被災地支援に行っていますし、 電柱を登れる。手先が器用なスタッフもいますし、僕自身の嫁も看護師ですし、 いろんな人材が豊富なので、何かあった時に、この人にお願いすればいいという人が結構います。
・僕がやってる野菜販売も、物資配給だったり、 実際にぐるんとびーでやっていること自体が、実は、3.11で被災地で活動していた内容ととてもリンクすることが多いと気づくようになりました。
・最後に皆さんに考えていただきたいのが、数ヶ月後に支援活動のマンパワーが不足して、全国、全世界からボランティアを募集したい。皆さんだったら誰に助けをお願いしますか。僕だったらですね、写真にある団体にお願いをします。南海トラフだったりと、今後絶対なにかあると思います。その時にマンパワーは絶対足りなくなります。山梨のフィンクリンクの皆さんに助けてと僕はお願いするかなと思います。
・そして、僕の中で、顔の見える関係を作ることだけではなくて、作った上で、自分自身が助けてと言える関係を作れるか。僕は、山梨の皆さん、菅原さんにも助けてと言える関係を作るためにも、地域活動を頑張ってます。ご清聴ありがとうございます。
(菅原さんが再登壇)
・あと顔が見える関係って言ってるんですけど、顔が見えて助けてって言われても、僕、助けたくない人がたくさんいるんです。そこはなにか世話にもなってない人が助けてって言ってきて、いや、今なんか僕ら介護事業者たちはそういう団体なんですけど、 どんどんフリーライドして、助けてって最後だけ、お金持ってるのにお金使いたくないから。それは包括報酬の中でなんとかやってても無理ですよっていう話です。助け合いの文化がそもそもあったり、その地域で、元々のその地域の繋がりがあり、お互い様で、お祭り手伝ったりなんなりっていうのが、都心部はないんですよね。ない中で、最後困った時だけ助けてって若者に言われても無理だと。お金を払える人たちが払わないで、いや、私たち困ってるのよ、介護がどうにかしたらいいのに、最後は家で住みたいのよ、 なんとかしてよって言い出しちゃったらカオスだなと思っちゃいます。
・そんなこんなで、災害支援もぐるんとびーは実はやっていて、まちづくりなどもやっていくと、介護保険事業としての枠組みを飛び越えちゃうんで、それはいいのかって言って怒られ続け、賛否両論が地域でも起こり続けております。はい。どうもありがとうございました。
このあと、小原さん司会にて、菅原さんを囲みながら、花戸先生、北川憲司さん、そしてぐるんとびーの皆さんと共に来ていただいた湘南大庭市民図書館の図書館主任の道上さんとでパネルディスカッションとなりました。
・(北川憲司さん)この研究会ができて16年ほど、私は今日は設立当時の原点を振り返らせてもらったと思っています。他の仕事もあったんだけど、今日参加させてもらって、ばっちりです。ありがとうございます。
・(花戸先生)私は地域の診療所で医者をやってるんですけど、目の前の困ってる人がいた時に、この人に何が必要かとか、どういう制度が必要かとかいうようなことを考えてしまうんですけど、誰が必要かって考えると、あの人であったり、この人であったりと思い浮かぶ。そのような人を集めることができるといいのかなと思いながら普段仕事をしてるんですけど、でもそれはまさに今日のお話で出てきていました。
・(菅原さん)また災害支援のお話があったり、なんかそういう横に繋がっていっている、そのコミュニティ もだいぶ崩壊してますよね。職員がメタバースの経営計画とかを書いてたりするんですけど、 子供たちの方がゲームの世界とかで繋がってたり、ゲームの世界で出会って、そこで付き合って、今度結婚するなどの話があります。なんか、コミュニティは、もう、そのエリアだけじゃない、すごく多層化してるなってのは、感じてたりしますね。で子供の支援とかも、うちの息子なんかも、学校がなくて困った時は、そのゲームの中の友達とか、近くの大学の学生の人たちがゲームの中で助けてくれたり、友達が作れたり、いろんな新しい学びをくれたりして、 この人ってなんなんだろうって最近思いながら。
・収入はですね、もう介護保険報酬しかなくて、介護保険なので、僕が本当は医者をやっていたら、多分もっとできる方法はあるかなと本当に思ってたりするんですけど、僕は理学療法士の資格しかないんで、訪問看護ステーションと、介護事業で収益を上げてやっています。今はNPOを作ったんですけど、まだ募金を集めなど住民活動にしちゃうと、NPOと住民活動と介護保険事業の切り分けがすごく難しくなっちゃって、 なんかその辺での難しさを感じています。
・(小原さん)見ておられる方など、ぐるんとびーだからできるんじゃないかって思っているところもたくさんあるかなと思うんですけど。
・(菅原さん)いや、実際そうだと思います。だって、こんなにしんどいことやる人いないですし、たまたまこの地域にこういう仲間がいてくれたりしているからこそなんだと思います。経営状況も本当にとんとんなんですね。いつやめてもいけるように、大体とんとんではやってるんですけど、あの、いや、本当は、この地域の仕組みで、行政とか、他団地がそのお金を出したりとか、そもそも住民たちが、協力の仕組みとして、ちょっとずつ教育費みたいな形で出していくとかする必要があると思っていて、そのモデルを作らなきゃいけないっていうのでやってるだけなので。
・あえて楽しさも伝わるような画面を見せないと、苦しさだけだとスタッフに入ってきてくれない。難しいところでアピールしてると、いや、健介儲かってるらしいよみたいに言われたりね。
・名前については、ぐるんとびーって、実は僕が中学校に行ったデンマークの教育者の名前から一部取ってて、ニコライグルントビーっていう教育者・哲学者ですね。でも別に僕、デンマークが全部全て正しいともすごいとも思ってないので、子供たちと楽しく、 みんなで楽しく、強く、みたいなところも含めて名前はつけてます。
・(北川さん)我々ね、その地域の、その1つの建物の中に住んでる人らの関係で、結局は 人間関係の共感力と、その人らと一緒に物語を作っていく、
結局そういうことなんやろなって。
・(菅原さん)実はこの間連絡もらった時に、僕もかなり疲れてたので、この活動、9年やって、来年で10年目になるんで、ちょっと方針転換しようと思って、今、日本の中のいろんなところを見させてもらってて、なんか、たくさんやることがあることを楽しむって、あの 小川村の、愛知の吉田でさんもいつもおっしゃってますけど、それをすごい感じたんですが、その域にまだ達していなくてですね、まだいっぱいやることがあると思っています。抱え込みすぎちゃう自分がいて。なんか困ってる人がいたら、なんとかしようって、困ってることを僕らが生み出してる側面もあるよなって。これはどうしたらいいんだろうねっていうのを、ちょっと伺いたい。
・(北川さん)みんなを巻き込んでいくやね。あなた意識してこうやってないけども、でも、結果としてみんな巻き込まれてる。もっとね、人を頼ったらいいし。さように。自分1人で美味しい、楽しいことをやったらあかん。
面白いものはおすそわけしないと。この楠神さんなんて、もうそういう人だよ。
・(花戸先生)話は2つあって、目の前の利用者さんとか地域の人にどう向き合うかっていうことと、あと組織としてどう運営していくかっていう側面ですね。そこは 頼った方がいいですよね。
・先ほどの話で、目の前の人とどう向き合うかっていう話、 大切な価値観っていうのが変わってきているかなと。
世代が違う。この北川さんの世代は、ヘルメット被って、こん棒振り回してたような世代ですね。僕らはこうはなりたくないなと、多数決が正しいんだなって、僕らは思ってた。でも多数決っていうのは、マイノリティの声が拾い上げられないんです。僕らを通り越した次の世代っていうのは、もうそれは健介くんであったり、次の、えーっと、若者の声っていうのは、目の前の人と対話を繰り返すことで解決していく。それがこれからの時代なのかなと思いますね。
・(北川さん)僕はね、年取って75歳になってますけども、自分の思いとしては、 もう30代の世代とか、圧倒的にすごいですよ、僕はだからとても安心してるんですよ。だから、確かにね、人口減ってくるとかいっぱいありますよ、2040年頃って困難なことは。でもね、若い人信頼できる。でもきっとね、自分らよりも圧倒的に彼らの方がもっと前の形で新しいていうか、そのことを気づかせてもらったのは菅原さんの世代。
・(菅原さん)いやいや、僕ら世代でも、もうついていけないので、もういい悪いとか、もう判断すら全然できないなっていう。
・(小原さん)このあたりで、よい時間となりました。皆さま、有意義なお話をありがとうございました。
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介護保険制度の枠を超えた、とても一言では言い表せない、多くの示唆をいただいた2時間となりました。
そしてぐるんとびーのスタッフの皆さまには、子供さん達含め、この東近江の地まで激務の合間をぬってはるばるありがとうございました。
次回は1月18日(木)、東近江総合医療センターにて開催となります。
次回もどうぞよろしくお願いいたします。
ーここまでお読みいただき、ありがとうございましたー
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